電脳の中の脳──脳科学・メンタルヘルスの最新研究やデバイス

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精神疾患の「役立つ」側面:進化を経てなお残る、われわれの心の変容

筆者はよく、精神疾患メンタルヘルスの悪化)について「骨が折れる」と「心が折れる」の対比を使って説明します。骨が折れたら助けやすいが、心が折れても見えにくい……などの文脈ですね。

ところで、骨が折れるのは単に骨の物質的な限界によるものですが、心はなぜ折れるのでしょうか。より正確には、例えばストレスを感じたときに、脳が「心が折れた状態」「メンタルヘルスが悪化した状態」を作り出すのは、一体なんの得があるのでしょう。

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進化とは損得で生じるわけではないですが、ここまで多種多様に心のありようが変わっていく「精神疾患」の存在は、ひょっとしたらなんらか便利な部分もあったのではないか……と考える分野を、精神疾患の「適応的側面の研究」と呼びます。

今回はこの中から特に有名な、

という仮説を紹介しましょう。

脳科学的な仮説もあるのですが、今回は心理学的な証拠が中心です)

 

精神疾患=能力低下、ではない

精神疾患にかかるというと、どうしてもネガティブなイメージが付きまといます。実際、心の有り様は日頃から大きく変わってしまうし、行動や社会生活、周囲の人たちとの関係にも大きな支障をきたします。

一方で、必ずしも精神疾患的な考え方が、いつも役立たない……というわけではありません。危険なジャングルに「不安」を感じるのは危険回避にとても役立つ能力ですし、とてもショッキングな出来事があったときに「抑うつ」的な気分になり、一旦いろいろな考え事を停止するというのも、混乱を防ぐためには有効かもしれません。

このように、精神疾患現代社会に適応できない状態である(治療を必要とする)と考えながらも、ある一定の条件では役立つ側面があった(適応的だった)……と考える研究が、異常心理学という分野で盛んに行われています。

統合失調症は「合理的」?

さて、では統合失調症ではどのような役立つ側面があるでしょうか。統合失調症は、妄想や幻覚を主な症状とする疾患で、珍しい病気ではありません。しかしながら、妄想や幻覚が現実世界において役立つ条件は、一見して思いつかないでしょう。

この統合失調の人たちの性質を明らかにするために、30年前に興味深い研究が行われました。ハックたち(Huq, Garety & Hemsley, 1988)は、瓶に入ったビーズ玉を取り出しながら確率の判断をさせる「ビーズ玉課題」を使って、妄想的な人々のもつ優れた性質をたくみに解き明かしたのです。

ビーズ玉課題では参加者に、中身の見えない目の前の瓶がAの瓶(赤いビーズ85個、緑のビーズ15個)かBの瓶(赤いビーズ15個、緑のビーズ85個)のどちらであるかを当ててもらいます。当てるための操作として、ビーズを1つずつ取り出してはもどし、をやりながら、一度だけ答えるというゲームを行います(下図は山崎ら、2006)。この時、、なるべく早く当てられるように頑張ってもらいます。

結果を見る前に、ご自身でも「いくつくらいビーズを出したら、うまく答えられるか」考えてみてください。

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さて、いかがでしょうか。

ちなみに普通の人では、5、6個くらい取り出したら答える……という傾向が見られました。

ところで、この「取り出した情報から、瓶がA、Bどちらであるかを見積もれる確率」というのは、ベイズ統計という手法を用いて計算することができます。計算の詳細はここでは省きますが、例えば「赤が連続して出てきた」という時、その瓶がAである確率の見積もりは、2つ取り出したあたりからほとんど変わらなくなるのです(下図は杉浦、2009)。

 

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つまり普通の人は、統計的な「正しさ」より、ずいぶんと慎重に数を見積もっていた、ということになります。では、統合失調症の方はどうでしょう。

実は統合失調症の種類(妄想があるか、ないか)によって違うのですが、統合失調症の方々は、妄想なしの人は平均して3.7個、妄想ありの人はなんと、平均して2.4個引いたら、すぐに答えてしまっていたのです。

ここで興味深いのは、統計的な正しさに対し比較すると、普通の人よりむしろ統合失調症の人の方が、確率計算において合理的判断をしている、とみなせる点にあります。統合失調症の妄想的な側面(あるかないかわからないものを、ある! と即断する確信の早さ)は、確率計算という場面においてはむしろ、適応的であるといえるわけです。

精神疾患の側面は、逆に普通の人の側面を浮き彫りにした

この結果は必ずしも、「普通の人は非合理だ」「統合失調症のほうがあるべき姿だ」といった規範を意味しません。普通の生活場面においては、少し慎重すぎるくらいの方が生き残るに役立つかもしれませんし、逆に正しい計算が絶対に必要な場面もあるでしょう(コンピューテーショナルな計算が必要な現代の方が、進化してきた自然な環境より役立つ場面が多いといえるかもしれません)。

ここで着目したいのは、疾患を持つ人と比較することで、逆に大多数の人が(たまたま)持っている側面が浮き彫りになったことです。多くの人は、確率的な合理性よりは慎重に生きている。そしてこれは、(たまたま)生存に役立つのであって、疾患の有無がイコール、「良さ」の有無ではない、場面次第で合理性は変わる……ということです。

このように、普通の人と疾患を持つ人の違いは実は状況に依存して合理性が変化する、という考え方は、直感的には受け入れづらいかもしれません。このような視点から研究された文献を、今後も紹介できると、新たな視座を得るよい機会になるかと思っております。

 

 

引用

杉浦義典 (2009). アナログ研究の方法. 新曜社

山崎修道・荒川裕美・丹野義彦(2006) . 訳者解説1. ガレテイ,P. &へムズレイ,D ./ 丹野義彦(監訳) (2006) . 妄想はどのようにして立ち上がるか.ミネルヴア書房.